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前田敦子がブランド負けする私服とは!?ブログが消えた意外な理由とは!?


   

元AKB48メンバーだった、前田敦子さん。
 
 
卒業後は、ドラマや映画・舞台などで、活躍されています。
 
 
そんな前田敦子さんが、ブランド負けする私服とは、一体どういう服なのか。
 
 
また、ブログが消えた意外な理由についても、探っていきます。
 
 

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プロフィール

 
maedaatsuko

prjm.jpより引用

 
 
芸名 前田敦子まえだあつこさん、本名 同じ
 
 
生年月日 1991年7月10日(現在26歳)
 
 
出身地 千葉県
 
 
血液型 A型
 
 
身長 161cm
 
 
趣味 映画鑑賞
 
 
所属事務所 太田プロダクション

 
 

家族構成は・・

 
両親と3歳年上のお姉さんがいるそうで、4人家族のようです。
 
 

AKB48メンバー入りまで

 
2005年頃、元々内気な女の子だった、前田敦子さんですが、母と2人でいた時に、AKB48というアイドルグループの、オーディションのチラシを、見つけたそうです。
 
 
胡散臭いチラシだったそうですが、プロデューサーの秋元康が載っていたので、興味を持っていたそうです。
 
 
しかし、内気な性格なため、そのことを伝えずにいたところ、母親が察して背中を押してくれたそうです。
 
 
2005年10月に行われた、初めてのオーディションでは、1次・2次と、調子よく審査を通過して、審査最終日を迎えました。
 
 
当日は、周りの人たちが、とてもかわいく見えて、すごく場違いな場所いるように感じたそうです。
 
 
すでに、女の子同士のグループが出来ていて、その中には入って行けなかったそうです。
 
 
そんな、プレッシャーもあって、ダンス審査では全然踊れず、歌唱審査もダメだったそうで、絶対に落ちたと、思っていたそうです。
 
 
そんな中、自分の番号が呼ばれ、その時にいた母親が、すごく喜んでいる姿を見て、ホっとしたそうです。
 
 
審査員側からの印象は、審査中は暗かったが、質問されて最後に見せた、ニコっとした笑顔が、凄く可愛かったそうです。
 
 
審査員の間では、「少し暗いけど、笑顔が凄かった」と話題になって、それを理由に通過できたそうです。(ホントにちょっとしたことなんですね、こういう審査って)
 
 

AKB48デビューも、苦しいインディーズ時代の始まり

 
2005年11月になって、デビューに向けたレッスンが始まり、かなりのスパルタレッスンで、無断欠席1回でクビになったり、厳しさに耐えられずに、自主辞退者も出ていたそうです。
 
 
1期生で合格したのは、24人だったそうですが、デビューまで残ったのは、20人だったそうです。
 
 
前田敦子さんが耐えられたのは、デビューシングル「桜の花びらたち」の、立ち位置を決めるときに、この曲は5人しか、マイクが貰えなかったそうです。
 
 
前田敦子さんはマイクを貰えたので、その嬉しさと、マイクは渡せないという根性で、耐え抜くことができたそうです。
 
 
同じように、セカンドシングルの、「スカート、ひらり」もメンバーに、選ばれたそうです。
 
 
2005年12月8日に、AKB48劇場のグランドオープンで、劇場公演デビューし、初日には関係者を含めて、70人程集まったそうです。
 
 
しかし、2日目・3日目と進んでいくにつれ、お客さんの数が、見る見る減っていき、そのうちステージのメンバーより、お客さんが少ない状態までに、なったそうです。
 
 
寒空の下、お客さんが集まらない事実に、不安で泣き出すメンバーや、辞めたがるメンバーも出てきたそうです。
 
 
そんな中、メンバー自らがビラ配りをして、何とかお客さんを増やす努力を惜しまず、頑張っていたそうです。
 
 

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AKB48デビューインディーズ時代~メジャーデビュー

 
2006年2月1日に、「桜の花びらたち」でインディーズながらも、CDデビューされました。
 
 
2006年2月8日には、初めて満員御礼となり、埋め尽くされた席を見て、メンバーはすごく喜んでいたそうです。
 
 
ところが、2006年2月下旬になって、追加メンバーの話が持ち上がり、ここまで頑張ってきたメンバーを、不安な気持ちにさせたようです。
 
 
2006年2月26日には、19人の新たなメンバーが、加わりました。
 
 
「先輩に負けないよう、頑張ります!」という、強い意志を持ったメンバーに刺激を受け、「私達も負けられない」と、最初はチームAとチームKは、ライバルだったそうです。
 
 
2006年4月15日に、チームAのセカンド公演の、「会いたかった」が開始されました。
 
 
この時に行われた公演では、前回に比べて、メンバーのポジションに、格差をつけた作りに、なっていたそうです。
 
 
後にチームAのメンバーは、この時の公演が辛かったと、振り返っています。
 
 
皆で一緒に一致団結して、頑張ってやってきたのに、格差をつけられた事が、悔しかったようです。
 
 
だが、それに追い打ちをかけるかのように、もっとつらい出来事が起きました。
 
 
その時は、まだ歌が上手い訳でもない、前田敦子さんが「渚のCHERRY」という曲で、ソロで歌う事になり、3人がバックダンサーという、4人で構成したユニットでした。
 
 
その時期、AKBの知名度は上がっていましたが、一体誰が誰なのか、世間には理解されていない事実を、聞いた秋元康さんは、ある計画を立てていたそうです。
 
 
それは、前田敦子さんをスターにしてしまう事でした。
 
 
2006年8月11日に行われた公演は、最悪なムードに包まれたそうです。
 
 
それぞれのメンバーが、自分の胸の内を、ファンの前で泣きながら、ぶちまけてしまったからです。
 
 
AKBを見るのに集まったファンは、「なんでお金を払って、こんなに嫌な思いを、しなければならないのか」と考え、一刻も早くこの場から立ち去りたい、という感情に包まれていたそうです。
 
 
2006年9月29日には、チームAとチームKで、メンバーの組み換えが行われたそうです。
 
 
その頃になるとメンバーは、新たな気持ちでやれるという、ポジティブマインドに変わっていました。
 
 
そして、2006年10月に、「会いたかった」でメジャーデビューを、果たす事ができました。
 
 

前田敦子がブランド負けする私服とは

 
前田敦子さんが、愛用しているカジュアルブランドは、「ヒステリックグラマー」だそうです。
 
 
そこで、ロックテイスト&ダークカラーの、大きめサイズをチョイスして、公開したところ、「おっさんに見える」などと、言われたところから、きているようです。
 
 
ステージで着用していた、かわいい衣装との、ギャップが大きかったのでは、ないでしょうか。
 
 

前田敦子さんが運転する車で接触事故

 
2015年7月19日夕方に、前田敦子さんが運転する車が、都内でタクシーと接触事故を起こしました。
 
 
事故は物損事故で済んだのが幸いで、双方に乗車していた人達は、無傷ですみました。
 
 
前田敦子さんはオフだったそうで、自家用車で運転の練習を、していたところだったそうです。
 
 
自動車のCMに出演されている、前田敦子さんの事故はご法度で、既に情報番組では、この件に関しての情報を、扱わない事に決めたようです。
 
 
所属事務所からも、同乗者なしでの運転を、禁止されたそうです。
 
 

ブログが消えた意外な理由とは

 
前田敦子さんが、AKB48に在籍していたころに、アメブロをやっていたそうですが、卒業後に消えたそうです。
 
 
最後にこう言い残したそうです。
 
 
さぁ急ではありますがこのブログで最後になります;(
 
 
このままブログを辞めるとはまた違いますよ;)
 
 
新しいサイトができるまでまっててください!
 
 
すぐに会いましょうー!!!
 
 
前田敦子さんなりに、区切りを付けたかったようですね。
 
 
その後、前田敦子さんはTwitterを開始されて、翌年にはオフィシャルサイトも、公開されました。
 
 

その後~

 
前田敦子さんはドラマ・映画・舞台と活躍されていて、歌手活動は、2016年6月29日に、ファーストアルバムが発売されました。
 
 
これからも、多方面で活躍される事を、期待しています。
 
 

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